1930年、天文学者クライド・トンボーはローウェル天文台で第9惑星を探すプロジェクトに取り組んでいた。トンボーは、当時最新の技術であった天体写真を用い、空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影して、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行った。撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果、トンボーは1930年2月18日に、同年1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけた。1月20日の写真も、質は悪かったが動きを確認するのには役立った。ローウェル天文台はさらに確証的な写真を得るよう努力したあと、発見の報を1930年3月13日にハーバード大学天文台へ電報で送った。後に冥王星の写真は1915年3月19日まで遡って見つかった。このような経緯から、発見日は一般に1930年2月18日とされているが、小惑星センターに登録された一覧上では発見日は同年1月23日とされている。
発見された新天体を命名する権利は、ローウェル天文台と所長のヴェスト・スライファーにあった。名前の提案は世界中から殺到すると考えられ、トンボーは他の誰かに提案される前に早く新天体の名前を提案するようにスライファーをせきたてた。ローウェルの未亡人のコンスタンス・ローウェルはまずゼウスという名前を提案し、次には「ローウェル」を、最後には彼女自身の名前である「コンスタンス」を提案したが、どれも熱心な支持は得られなかった。クロノスやミネルヴァといった神話上の名前は提案された名前の中で多くの支持を得た。
「Pluto」(プルート)という名前を最初に提案したのは、イングランド、オックスフォード出身の当時11歳の少女ヴェネチア・バーニー・フェアである[13]。天文学と同じぐらいローマ神話とギリシア神話にも興味があった彼女は、オックスフォード大学のボドレアン図書館で以前司書をしていた祖父ファルコナー・マダンとの会話の中で、ギリシア神話のハデスに対応するこの名前を提案した。マダンはこの提案をハーバード・ターナ教授に伝え、ターナはこの提案をさらにアメリカにいた同僚に電報で送った。「Pluto」という名前はスライファーによって公式に採用され1930年3月5日に発表された。
この天体に使われた名前はローマ神話で冥府の王であるプルートーのことであり、太陽系最深部の暗闇に存在する冥王星のイメージを象徴している。また最初の2文字のPLは、パーシヴァル・ローウェルのイニシャルでもある。
日本語名の「冥王星」は、発見後すぐに日本人の野尻抱影が提案した名称である。彼はこの名称を「幽王星」というもう1つの候補とともに雑誌科学画報の1930年10月号に紹介した。この名称は京都天文台ではすぐに採用されたが、東京天文台(現在の国立天文台)では英語のままの「プルートー」が用いられた(当時、東京天文台と京都天文台は異なる用語を用いていることがしばしばあった)。1933年には中国でも「冥王星」が採用され使われ始めたが、東京天文台が「冥王星」を採用したのは太平洋戦争中に外来語(カタカナ語)を禁止した1943年のことであった。現在では、中国語では日本語と同じ「冥王星」 が用いられ、漢字をほぼ廃止した朝鮮語では漢字で冥王星にあたるものを用いている。 |